昭和五十六年七月十九日 朝の御理解
                                             宮崎正


御理解第89節「この方の道は傘一本で開くことができる」

 今朝から、今日の壮年大会のことを、神様にお願いを申しておりましたら、「破れた傘」を御心眼に頂きました。そしたら、今日の今朝の御理解が、やはり傘にちなんだ御理解であります。「この方の道は傘一本で開ける道」、まあ、それから考えるんですけれども、今日の壮年会に集まって見える方達に、何を頂いて帰ってもらおうか。何を分かって帰ってもらおうか、どう発心してもらおうかと、とにかく破れた傘でもよいから、一本の傘が頂けれる、信心を頂き、これからの願いとして行きたい。
 おかげを頂くというのでなくて、一本の傘を頂くということ、それは完璧なということは、なかなかですけれども、まあ、破れ傘でもよいから頂かしてもらう、という、そういうことだろうと、こう思います。だから、おそらく、今日の壮年大会のお話の内容は、いかにすれば、その傘一本が頂けるかということに、まあ終始するのではなかろうか。言うならば、今日の壮年大会のお話の結論だと、私は思います。
 その手立てを頂く。「傘一本あれば、一切のことが開ける」とこう言うのですから。傘一本で開ける道なのですから、その傘一本で開ける道というのは、私は、この世を苦の世苦の世界で一生終わって行く人が、まあ言わばほとんどではないでしょうか。もう思うようにならんのが、この世である、この世は苦の世、苦の世界で終わって行く人が、どのくらい、いやもう、ほとんどそうでしょう。そういう中にあって、金光大神の道は、傘一本で開ける道。ですから、何を求めるというても、言うなら、この傘一本を求めるための信心であり、修行でなからなければならない。
 もちろん、傘一本ということは、いつも頂きますように「安心」と仰せられます。安心した日々、それは安心の生涯、それも言うならば、あの世この世を通して、その安心をそのまま、心に感ずる魂に頂きこんでおる、その安心を、あの世までも持っていけれれるというのである。その安心の大御影を頂いたら、どういうことになってくるかと言うと、この世は苦の世苦の世界でも、思うようにならんのが浮世でもないということが分かる。おかげになる、この確信である。どういうことがあっても不安でない、心配でない。日頃頂いておる、その傘一本を開かせて頂いたら、暑い時でも暑い思いをせんですむ、降りだしても濡れんですむという、ね。それが完璧なということではないにいたしましても、破れ傘でも頂ける信心を頂きたい。しかも段々分からせて頂くことは、この安心こそが、この傘一本こそが、あの世にも持っていけるのでもあるが、してみると、その傘一本を頂くことのために、いや、その傘を頂いて、あの世に安心と、まあ喜びといいたいたいですね、安心と喜びを持って、
あの世に行けるとしたら、言うなら、この世はあの世のためにある、と分からせてもらう。そういう大変な、大切なことを、頂かせて頂こうというのである。
 言うならば、自分の心の中に、有り難しという念が起こってまいりまして、昨日、鞍手の柴田さんとう方が、あちらから、今、昼の夏期信行にも、みんなで通うてまいります。大変というところですけれどもね、なかなか、それこそ勇ましい信心をなさる方です、婦人ですけれども。それが、神様から「千日花」と頂かれたそうですね。千日の花と、ということは、いつも自分の心の中に、いついつまでも喜びを絶やさない生き方を体得するんだぞということだと思います。ここに喜びの花を、昨日咲いたのが、今日はもうしぼんでしまっておるというのではなくてね。千日というのは、そういう意味ではないかと、こう思う。
 そういうおかげの頂けれる手立てを、合楽理念は誰でも、それに入っていけれる、その気になれば誰でもけいこができる、また体得もできるという手立てが、これは昨日でしたけれども、これも何かの壮年会のお届けがあっておりましたから、お届けさせて頂いておりましたら、ここで、ある教会の信徒会長をしておられる方で、もう10年もなりましょうかね、胃癌で合楽にお願いをして、いうなら病院にも行かんなり、おかげを頂いて、もう熱心に、いわゆるここにも信心を求めてお参りしてくる方の名前が石川八郎というんです。だから、私も実際なら、いつもみなさんが合楽理念と、耳にたこのできるくらい聞いておられる話し、だろうと思うんですけれどもね、その合楽理念は今も申しますように、結論をすると、一本の傘を頂くことのための理念なんです。言うならば、その千日花のおかげを頂くことのための理念なんです。しかも誰でもみやすう入っていけれる、市川とは一つの川、しかも八郎と言われる。その一つ合楽理念を言うならば、四方八方から、説いてくださるというったような感じがいたしました。
 ですから、昨日のお月次祭の後のお話にも申しましたように、昨日どなたですか、私、忘れましたけれど、信心は尺八のけいこをするようなもの、金光教の信心は、実に素朴なんだ、たった一尺八寸の竹から、あのそれこそ妙なる音色が出てくるんです。自分も  習うたら、自分の吹く尺八の音色に聞き取れ聞き惚れるような、言うなら周囲で、横でそれを聞いておっても、うっとりするような音色が出てくるんです。
 なら、合楽理念というものをここに出されても、こんなに素晴らしい、これが合楽理念ですよと出されても、これが尺八ですよと出されても、誰でもいっぺんにおいそれと、それをそういう音色を吹き、または、ことはできませんでしょう。だから本気で合楽理念に基づいてけいこをしよう。しかも言うならば傘一本を願いの芯としてのおかげをです、頂こうと願って吹くと、その手ほどきを受けるわけですけれども、それがなら、誰でもできる。それこそ、自他共に自分も楽しいが、それを聞いておる人も、その素晴らしい音色にうっとりするような心の状態というものを、いよいよ心から奏でられるところの喜びであり、千日花である。 
 だからね、私はどうしても合楽の場合には、なるほどおかげを頂かなければなりませんから、おかげを頂き、頂き、そのことに、やはりまあ、考えてみると、いろんな問題もすべてが、これを頂くことのためであったと、しかもこれは、この傘一本は、あの世に持っていくことのため、もし信心がなかったならば、破れ傘どころではない、もうそれこそ不安焦燥、もうとにかくあの世へ行ったらどうなろだろうかというような心の状態しか頂けないでしょう。いわゆる死生の安心といったようなものは生まれるはずもありません。そしてこの世で様々な修行もさせて頂いたが、この世でそういう傘一本のおかげを頂いて、その傘一本こそはいよいよあの世に持って行って、破れておるものは、それが、立派な傘を願いながら、おかげが頂けるという、その一本の傘をお互い目指させてもらう。その一本の傘を頂くことのためには、ならどういう精進をさせて頂いたらよいかと、不思議に日々信心のけいこをさせて頂いておると、心に安心もゆとりも喜びも頂けてくる。その手立てが言うならば合楽理念

 今日は壮年大会ですけれども、みなさんもできたらお話を聞きにきてくだされば、私もどういうお話になるか分かりませんけれども、おそらく市川八郎ではなかろうか。いわゆる一本の傘を頂く手立てを、しかもあらゆる角度から説いてくださるのではなかろうかと思います。私自身も楽しみです。
どうぞ。